公園友だちのNさんが、
「桑の実を食べに行こうよ」
といきなり言い出した。場所はいつもの樹林公園内の芝生広場。
Nさんの後をついていくと、ほんの目と鼻の先に桑の木があった。
恥ずかしい話だが、ボクは桑の葉は知っているが桑の木は見たことがなかった。
父方の叔父が養蚕をやっていたので、子どもの頃、叔父の家に行くと天井裏の
〝お蚕(かいこ)さん〟を見せてもらった。この時、桑の葉を見たのだが、
その葉を茂らせている桑の木を見たことがなかった。いや、叔父の家に植えて
あったのだろうが、関心がないので目に入っても記憶にないのだろう。
ボクの欠点は植物にまるで関心がないこと。だから誰でも知っている花の名を
知らないし、植物図鑑も見たことがない。知っているのは桜、梅、チューリップ、
ひまわり、カーネーションくらい。他は知らない(笑)。
←お蚕さん
そんな植物オンチのボクがNさんに「これが桑の実だよ」
といわれた時、思わず叫んでしまった。
「あっ、これ、うちのベランダにもある!」
な~んだ、マルベリーmulberryのことじゃないの。
後で調べたら、「マルベリー=桑の実」とあった。
ああ、こんなことも知らなかったのか……自分でも情けなかった。
あまりにモノを知らなすぎる。
←わが家のベランダにある
マルベリー。黒く熟した実は
カミさんがジャムにする。
ここで蘊蓄ばなしを一つ。
モノの本に載っていたのを知ったかぶりして披露するのだが、
地球上には自然界で生きていけない動物が一種類だけいるのだという。
さて何でしょう?
答えは「カイコ」。
カイコは人類が約5000年前から飼い始めたといわれていて、
家畜化された昆虫なので、野生には存在しないのだという。
もしカイコの幼虫を野外の桑の木に止まらせたとしよう。
さてどうなるか?
カイコの幼虫は足の力が弱いので、葉っぱにつかまっていることができず、
木から落下して死んでしまう。成虫になっても翅の筋肉が退化していて、
羽ばたくことはできても飛ぶことができない。つまり、人間の飼育環境下
からはずれると、生きることも繁殖することもできないのだ。
人間に飼育される以前は自力で生きていたのだろうが、カイコのルーツは
いまだ分からず、おそらく絶滅してしまったのではないか、と考えられている。
思えば、この〝お蚕さん〟のおかげで今日の日本がある、といってもいい。
明治期、日本は世界に門戸を開いたが、さて海外へ売るものがない。
今なら車や精密機械など付加価値の高い輸出品がいくらでもあるが、
当時は〝お蚕さん〟の生み出す生糸しか輸出するものがなかった。
当時の輸出貿易の中心(40~70%)は生糸だったのである。
この高品質の生糸があったおかげで軍艦など諸々を買うことができたし、
日清・日露の戦役にも勝つことができた。〝お蚕さん〟様さまなのだ。
というわけで、お蚕さんに掌を合わせたくなるが、あの〝ニオイ〟を
思い出すと
(うっ、くせェ……)
と気分が悪くなってしまう。
嶋中労さま
返信削除おはようございます。
我が姉弟もお蚕さんのおかげで学校を出させてもらい大きくなりました。正確な記憶では
ないのですが昭和58年ぐらいまで我が家でも養蚕を行っていたのです。蚕のことを
「おこさま」と呼び祖父両親は大事に扱っていた記憶が鮮明に残っています。
そしておこさまに繭を作らせる準備を蚕上げ言うのですが母屋の二階ががらんどうに今でも
なっておるのですがそこまで持ち上げて回転まぶしに蚕を這わせ繭を作らせていました。
二階に入りきらなかった蚕はあらゆる所に回転まぶしをつるして繭をつくらせていましたので、
家中があの臭い状態だっだのです。実際に臭いと発言したこともしばしばで、その都度母から
「臭いと言ったら罰が当たるおこさまによって大きくなったんだから」とたしなめられた
のです。
おかげさまで思わぬ処から幼少期の一面を思い返したのです。あらためてご先祖さま両親
おこさまに感謝しなくてはなりませんね。
ありがとうございます。
田舎者様
返信削除埼玉北部から群馬にかけては蚕のことを〝お蚕様(おこさま)〟と呼んでいたらしいですね。
とにかく〝様〟がついているのだから、いかにカイコに世話になったかが想像できます。田舎者さんちでも〝おこさま〟を飼っていたんですね、「くせぇ」だなんて失礼なことを言ってしまいました。お許しください。
ボクはアオムシにしろカイコにしろ、ニョロッとしたものはすべてダメで、ミミズはいまだに触れません。釣りの餌に使うゴカイも見ただけで卒倒してしまいますので、釣りというものを一度もしたことがないのです。
ゴキブリには強いのですが、毛虫関係はぜんぶダメ。
〝お蚕様〟には申し訳ないのですが、写真を見るだけでゾッとしてしまうのです。
きっとバチが当たるんでしょうね、こういう不心得者は。
楽しいコメントをありがとね。