2020年6月8日月曜日

アッパッパーを知ってますか?

朝の〝ワン公友達(ワン公を散歩させている人たち)〟の一人に、
「その服って、アッパッパーみたいだね」
といったら、
「なに? そのアッパッパーって? あたしクルクルパーじゃないよ」
と笑い出した。アッパッパーを知らない世代なのだ。

アッパッパーは昭和30年代に流行った女性の簡易服で、
暑い夏に着る木綿のワンピースである。
うちのお袋がよく着ていたから、アッパッパーというちょっとふざけた
名前を耳にすると妙に懐かしい思いがするのである。

フランス文学者の木村尚三郎のエッセイの中に、
アッパッパーを着た日本のおばちゃんが、
パリのエッフェル塔の前の広場にぺたりと座り込んで涼んでいた、
というくだりがあるが、その光景を想像すると、
(しょうがねえなァ……)
と呆れると同時に、つい〝プッ〟と笑ってしまう。
日本人も今の中国人観光客のバッドマナーを笑えた義理ではない。

このアッパッパーという奇妙な名前の由来は、
歩くと裾がパッパッと広がることからついた、という説がある。
元は近畿地方の俗語だったらしい。

洋服のことはよくわからないが、ムームーという簡易服もある。
ハワイ発祥の服で、ハワイアンを歌ったり踊ったりする女性が着ている服だ。
このムームーとアッパッパーとの違いがボクには分らないのだが、
たしかお袋はこのムームーもよく着ていた。
でっぷり肥ったお袋がアッパッパーなりムームーを着ると、
なかなか迫力があった。ああ、会いたいなァ、お袋に。

朝の公園に来る仲間たちは総じて年寄りばかりだが、
ワン公友達は比較的若い。アッパッパーを知らないのは当然なのだ。

ボクの仲間たちはほぼ同じ世代だが、
なかに給食の〝脱脂粉乳〟を知らない男がいる。
還暦はとうに超えていて、同い年で脱脂粉乳を知っているものがいるのに、
彼は知らないという。あの当時、長野県にいて、どういうわけか、
給食にはパックの牛乳が出たという。おれたちより進んでいる。

ボクは山本夏彦の弟子で、人間を2種類に分けるクセも師匠譲り。
つまり、「アッパッパーを知る人間かそうでない人間」か。
そして「脱脂粉乳を知る人間かそうでない人間」かの2種類。

知らないからって差別しているわけではもちろんない。バカにもしていない。
でもあの鼻の曲がるほどまずい脱脂粉乳を飲んだことがないなんて……と、
ある種の同情に近い感情は持っている。あんな貴重な体験をしていないなんて、
可哀そうなやつ、という憐れみは抱いている(笑)。

「そんなもん、大きなお世話だろ!」
と非経験者は反発するにちがいないが、
貧しさを知らないものが真の豊かさを知らないように、
戦争に負けて、牛や豚の餌である脱脂粉乳を、「アメリカさん、ありがとう」
と感謝の念をもって飲まされた我々の、言葉に言い表せないような屈辱感は、
なかなか分かってもらえないだろう。

もちろん小学生のガキだったあの頃の自分が、戦争に勝った負けたなどと、
難しいことは分からなかった。日本の社会そのものが貧しさに耐えていて、
恩着せがましく脱脂粉乳を施してくれたアメリカの〝善意〟とやらを心から
信じていた。建前上は「ユニセフ」からの贈り物、てなことになってたけどね。

それにしてもあの脱脂粉乳、何と言おう、恐ろしくまずかった。
アルマイトのボウルに入っていて、残す子がいると先生に
無理やり飲まされ、泣きながら飲んでいた。

アッパッパーといい脱脂粉乳といい、まだ日本が貧しかったころの
風俗であり飲み物だ。

昭和27年2月生まれのボクは、勝手に〝戦中派〟を自任している。
何をバカなことを、と真の戦中派は怒るかもしれないが、
国際法上はボクの言い分のほうが正しいのである。

サンフランシスコ平和(講和)条約が発効するのが昭和27年の4月28日。
この日をもってめでたく戦争状態が終結し、日本に主権が回復するわけだが、
ボクはその2カ月も前に生まれているので、戦時国際法の上では〝戦時中〟
ということになる。戦中派を自称しても何ら問題はないのだ。

戦後間もない頃の貧しさを知っている我らが世代も、
いよいよ人生の終盤にさしかかり、「終活」なんて言葉も
ふつうに使われるようになった。あんまり好きな言葉ではないが、
人生の黄昏時を迎えていることは確かだろう。

アッパッパー姿のお袋に会えるのも、もうじきだ。



←男の子は丸刈り、女の子は
オカッパ頭。さあ、待ちに待った
給食の時間だ。おいしい脱脂粉乳だよ。
誰だ、「脱脂糞尿」だなんて言うやつは!





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