2017年1月26日木曜日

人は困苦欠乏によって鍛えられる

作家・佐藤愛子の祖父は津軽藩士だった。明治維新で武士を廃業、
食わんがために小間物屋を始めた。店に客が来る。
「これはナンボしますかいな?」
店の主人に値段を尋ねると、
「うるさい! ナンボでもいい、カネを置いていけ!」
と怒鳴ったという。金銭のやりとりを卑しいものと見なす、
まさに典型的な〝武士の商法〟である。
 
その息子、つまり佐藤愛子の父親である小説家の佐藤紅緑は、
やはり士族の血が騒ぐのか、
カネ、カネと言う奴にロクな奴はいない
が口ぐせだった。その伝でいくと、米国のトランプ新大統領などは
損得勘定しか頭にない超のつくロクデナシ野郎ということになる。

愛子はそんな祖父や父の血を受け継いでいる。
別に保証人になっていたわけでもないのに、夫の借金を肩代わりし、
寝食を忘れて働き借金を返した。負債総額は約2億円。昭和40年代の
2億円である。とてつもない額だ。

佐藤は言う。
《ところが実際に貧乏になってみますとね、どうってことはないんですよ。
朝になったらお日様は上がるし、夕方になったらお月様は出る》

《私の信条はね、お金のある時はあるように暮らせばいい。無い時は
無いように暮らせばいい。それでいいじゃないか。それだけの柔軟性を持つことが、
静かに暮らせるコツだと思うんですよ》
なんか突き抜けちゃったような物言いである。

《何も苦しいことがなければ、幸福は生まれないのですよ。
幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは、
苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。
苦しいことだらけの人生を生きた私は、幸福な人生だったと思うんです。
苦しい人生を力いっぱいに生きましたからね》

愛子の父は「正々堂々」という言葉をよく口にしていた。
野球好きのこの男、草野球チームを自ら作り上げ総監督になったはいいが、
敵が盗塁をすると、烈火のごとく怒って、
《塁を盗むとは何ごとか! 正々堂々の戦いにあらず!》
と声を荒らげ、試合を中断して相手チームの監督に怒鳴りこんだという。
これじゃ試合にならん😅。

こんな男の娘である。道を歩いていて向こうから借金取りがやって来るのを見て、
コソコソ隠れるような生き方だけはしたくない。
私は正々堂々と生きたいんです
正々堂々と自由に生きる――93歳の佐藤愛子は生涯を通してこの生き方を
貫いてきた。

愛子の父・紅緑は、こう言ったという。
俺が生きているかぎり、俺の娘が不幸になるわけがない
この父親の確信じみた妄信が、愛子の中に目に見えぬ楽天性を育てたともいえる。
たしかに荒唐無稽の自信かもしれぬが、現代にあってはこの荒唐無稽さが懐かしくもあり
うらやましくもある。

この際だ、ボクもその荒唐無稽さにちゃっかり便乗し叫んでしまおう。
「俺が生きているかぎり、俺の女房と娘たちが不幸になるわけがない! 
どうだ、ザマァミヤガレ😵」



←93歳であってもこの若さ。彼女は言う。
人は困苦欠乏によって鍛えられる》と。

2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    こんにちは。

    佐藤愛子さんの言葉は確かに突き抜けています。
    禅のお師家さんの言葉と同じに感じとれ、悟りを開くと
    言葉だけではなく生きるること全てがこのような生き方に
    なるのではないかと思った次第です。

    どこにも引っかからないで風のように、水の流れるように
    そして冬の太陽のような温かさを持ち備えている人のようです。

    典型的な本物の日本人なのです。
    そして、上野千里さんの「みんなに」という詩を読み返して
    しまいました。長いのですがここに写させていただきます。


    みんなに 上野千里


    かなしみの尽きぬところにこそ かすかなよろこびの芽ばえの声がある

    あつい涙のその玉にこそ あの虹の七色は映え宿る

    人の世の苦しみに泣いたおかげで 人の世の楽しみも心から笑へる

    打たれ踏まれて唇を噛んだおかげで 生まれてきたことの尊さがしみじみ分かる

    醜い世の中に思わず立ちあぐんでも 見てごらん ほら あんなに青い空を

    みんなが何も持っていないと人が嘲っても みんな知っている もっと美しい本当に尊いものを

    愛とまことと太陽に時々雨さえあれば あとはそんなにほしくない

    丈夫なからだとほんのすこしのパンがあれば 上機嫌でニコニコ歩きたい

    それから力いっぱい働こう そうして決して不平は云わずに

    何時も相手の身になって物事を考えよう いくらつらくても決してひるまずに

    どこかに不幸な人がいたら どんなことでも力になってあげよう

    もしすっかり自分を忘れてしてあげられたらもうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

    うつむいていればいつまでたっても暗い空 上をむいて思いきって笑ってごらん

    さびしくてどうしても自分がみじめにみえたら さあもっと不幸な無数の人人のことを考へてごらん

    道はどんなに遠くても おたがいいたわりあい みんな手をとり合って歩いてゆこおう

    悲しいときはともに泣き 楽しいときはともに笑い かたを組み合って神のみさかえをたたえよう

    朝 お日様が昇るときは あいさつに今日もやりますと叫びたい

    夕べ お日様が沈むときは 夕焼け空をじっと見つめて坐っていたい

    心にはいつもささやかな夢をいだいて 小鳥のようにそっと眠り

    ひまがあったら古い詩集をひもといて ひとり静かに思いにふけけりたい

    幸せは自分の力で見出そうよ 真珠のような涙と太陽のような笑いの中に

    今日もあしたも進んでいこうよ きっといつの日か振りかえって静か微笑めるように

    偽って生きるより偽られて死に 偽って得るより偽り得ずに失えと

    天国からじっと見守っているお父さんに 手をふってみんな答えておくれ

    なんどころんでもまた起きあがればいい なんだこれしきのことと笑いながら

    さあみんな ほがらかに元気一ぱい さわやかな空気を胸に大きくすいながら


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  2. 田舎者様
    いい詩ですね。『雨ニモマケズ』を思い起こさせます。
    このような詩を読むと言葉の力ってスゴイな、と改めて思います。

    どれだけ心に響く言葉を持てるか、
    どれだけ人を鼓舞させる言葉を持てるか、
    どれだけ人の心を慰める言葉を持てるか……、
    人の価値はそれで決まってしまうような気もします。

    善き心を持った人にはやさしくし、
    悪しき心を持った人には、生きていることを後悔させるくらいお仕置きをする。
    これがボクの変わらぬテーマであります(笑)。
    お仕置きされないように精進いたします。

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