2018年2月10日土曜日

国防婦人会のおばちゃんたちとおんなしだ

今朝も近所の「和光樹林公園」に行ってきた。
例によって7㎏のダンベルを背負い、完全防寒のいでたちだ。
調子のいい時は、これにアンクルウェイト(くるぶしに着ける重り
をそれぞれ2㎏ずつ着け「7㎏+4㎏=11㎏」の負荷をかけている。
体重が80余㎏だから「80余㎏+11㎏」で計91㎏ほどになり、
その重さで5キロほどのコースを歩く。

徒歩だと体重の3倍が膝にかかり、走ると5倍がかかるという。
となると「91×3=273㎏」が両膝にかかる計算になる。
あいにく膝が関節症でいかれていて、過度の負荷は厳禁なのだが、
持ったが病でこればっかりはどもならん。

前回も書いたが、1周1000㍍のタータントラックは避け、その縁の
芝の上を歩いている。歩くたびに神経が悲鳴を上げるくらい軟骨が
すり減ってしまっているのだが、ごまかしごまかし歩いていると、
どうにかこうにかノルマは達成できる。腕が利かず、水泳も筋トレも
できない身体となれば、せめて下半身だけでも鍛えておかなくては、
と半分切羽つまった気持ちで歩いている。

ぶじに歩き終わり、公園をあとにしようと入口に向かったら、
なにやら10人ほどのおばちゃんたちが叫んでいる。
「平和憲法を守りましょう! 憲法9条を守りましょう!」
土曜日で公園への人出が多いと見たのか、元気いっぱいのおばちゃん
たちが道行く人に声をかけ、署名をお願いしている。

その中に知り合いのおばちゃんがいて、思わず呼び止められてしまった。
(まずいな……)
あっちはいつもと変わらず、ごくふつうの気持ちで声をかけたのだろうが、
あいにくボクは「廃憲派」であり「改憲派」だ。彼女たちが言うところの
「平和憲法」なんて毛ほども信じていないし、こんなもの、GHQがむりやり
押しつけた戦時国際法違反のトンデモ憲法だと思っている。要はボクにとっては
世界一非常識な、煮ても焼いても食えない唾棄すべき憲法なのだ。

そのインチキ憲法を後生大事に守っていれば、未来永劫平和でいられる、
というのが、失礼ながら、ここに居並ぶおばちゃんたちの信じるところ
なのだと思う。「平和、平和」とお題目のように唱えていれば平和が続くだろう、
とする「念力平和主義」の信奉者が、きっとこのおばちゃんたちの正体なのだ。
103条まである日本国憲法は隅から隅まで読み、「前文」も熟読玩味しました、
という人はたぶん少ないのではないか。いや、ひょっとすると一人もいない
かもしれない。

ごくふつうのオツムがあり、日本人としての誇りが一片でもあれば、
読んでいてこの押しつけ憲法はどこかおかしい、と思うのがふつうで、
「前文」にいたっては噴飯もの、とボクなら正直に言える。日本語だって
翻訳調のかなり怪しいものだし、読み込んでいくと、アメリカが意図した
目論見が実によく透けて視えてくる。煎じ詰めると、日本なんて野蛮な国は、
未来永劫、4つの島の中に押し込め、二度と白人たちに逆らえないように
子々孫々まで骨抜きにしてしまえ!――日本国憲法を裏読みするとこうなる。

「ごめん、ボクの考えは皆さんとちと違うんだ。残念だけど署名はできません」
キッパリそう言うと、知り合いのおばちゃんは幽霊でも見たかのように
目を丸くしていた。
でも、しかたがないよね。節を曲げるわけにはいかないもの。

戦争なんて、だれだって避けたいと思っている。
問題はどうやって避けるかの方法論の違いだけだ。選択肢はいろいろあるが、
ボクは紙っぺらに書かれた念仏平和憲法などより、現実的な〝戦争抑止力〟
というものをまず考える。生来、理想主義は心の奥底にしまい込み、
リアリズムだけに依拠しようと自らに言い聞かせてきた。
外からの軍事的脅威には断固軍事力で対抗する。
「やってみろよ! 10倍にして返してやるからな!」
簡単に言ってしまうとこれが実効性のある戦争抑止力となる。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した
わが憲法の前文には、こんなノーテンキな文句がつづられている。
(日本国の命運を〝平和を愛する〟隣国の皆さまにお預けいたしますので、
煮るなり焼くなり、どうかお好きになさってくださいまし……)
わが日本国憲法の前文には一国の安全保障を自ら放擲し、
今後は軍隊など保持せず他国の温かい善意にすがって生きていきます、
とマンガみたいなことが書かれている。

支那、ロシア、北朝鮮、韓国……日本の「麗しき隣人たち」のどこをどう叩けば、
《平和を愛する諸国民の公正と信義》などというおめでたい言葉が浮かんで
くるのか。公正と信義に最も遠い〝ならず者国家〟にしか見えないのは、
ボクがひねくれ者で、ボクの目がいたずらに曇っているためなのか?

平和憲法を守れ、と連呼する気のいいおばちゃんたち。
その素直で純粋すぎる気持ちには満腔の敬意を表したいが、
パワーポリティックスが支配する政治の世界はそれほど生やさしいものではない。
(あの人、危険な右翼かも。やさしそうな人だと思っていたけど……)
ボクの後姿を見て、おばちゃんたちはそんなふうに思ったにちがいない。

憲法改正反対を唱えるおばちゃんたちは、
「パーマネントはやめましょう! 長い袂(たもと)はつめましょう!」
と、かつて銀座の街頭に立って若い娘たちの髪や着物の袂をちょん切った
あの国防婦人会のおばちゃんたちと、同じおばちゃんたちだ。
平和を唱える行為も、武運長久を祈って千人針を寄進する行為も
所詮はコインの裏表。やっているのは紛れもない同じ人間なのである。


←ボクの理屈はこうしたおばちゃんたちに
通じるのだろうか、といつも不安に苛まれる。
日本が平和でいられるのは憲法9条のおかげ
なんかじゃなくて、自衛隊と日米安保条約の
おかげなんですよ、おばちゃんたち、
聞いてますか? 





2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    今回の「国防婦人会のおばちゃんたちとおんなしだ」を三度繰り返して読ませていただいたのですが
    なんとなく清々しく感じてしまうのはこの冬の寒さに頭がやられてしまったのでしょうか。

    労さま復活ですね。

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  2. 田舎者様
    お互い、同じようなことを憂い、同じようなことに関心を向けているね。

    旧大日本国防婦人会のおばちゃんたちだって、戦場に送った息子たちの無事を祈り、
    人一倍平和を希求していたと思う。

    でもその思いがどこか空回りして、若い娘たちのオシャレに嫉妬したりしちゃうんだよね。
    流行を追う若者たちを「非国民」呼ばわりすることで、自分たちの正義を正当化する。

    人間はいつの時代でも純粋で、健気で、やさしくて、愚かだ。
    「憲法9条を守ろう!」と叫ぶおばちゃんたちに悪意などない。
    ただ決定的に思慮が足らない。

    無知は罪なるか――太宰の作品の中にそんなセリフがあったな。
    そう、無知は罪なのです。

    善意でやっていることはすべて正しいこと、と思い込んでしまうところに
    悲しいかな女の浅はかさがある。

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