2019年8月13日火曜日

人生は悲しみひとつ

飲みすぎと夏バテが重なって体調がチョー悪し、という感じだったので、
命を護るため高らかに禁酒宣言を発した。

で、どうなったかというと、2日間の完全禁酒に成功した。
大方の予想では「1日だってムリでしょ」が大勢を占めていたから、
2日も禁酒したら大成功である。あんまり嬉しいものだから、
ここ数日、仲間たちと祝い酒に興じている。

先日、ボクの親友が膀胱ガンで亡くなった。まだ60代半ばである。
最愛の夫を失った奥方は、
「もう二度とあの笑顔に会えないのかと思うと心底辛い。そしていまだに
そのことが信じられない」と嘆いていた。
また友人Nの娘婿はすい臓ガンと診断され、Nはほとんど絶望している。
婿さんはまだ40代。子供も3人いる。サイレントキラーと呼ばれるすい臓ガン。
めったなことは言えないが、生還を祈るしかない。

ボクの愛読書でもある『The Little Prince』の中に、王子がいろんな星を
訪ねるシーンがある。その中の一つは酔っぱらいの住む星だった。
王子様は酔っぱらい男にこう尋ねる。
❛What are you doing there?❜
酔っぱらいは悲しそうな顔してこう答える。
❛I am drinking,❜
❛Why are you drinking?❜
と重ねて訊くと、この酔っぱらいは、
❛So that I may forget,❜と答える。
王子はやや同情気味に、
❛Forget what?❜と訊けば、酔っぱらいは、
❛Forget that I am ashamed,❜と首うなだれながら答える。
王子はなおも、
❛Ashamed of What?❜と訊く。
酔っぱらいは、こう答えて口を閉じた。
❛Ashamed of drinking!❜

酔っぱらいの気持ちは半分わかる。
辛いこと、悲しいこと……生きていれば「愛別離苦」は誰にだって訪れる。
宗教家の紀野一義は、人の生涯は〝悲しみ一つ〟と思いきわめろ、と言っている。
「親鸞は〝悲しみをよく知る人〟であった。悲しみをよく知る人でなくては
大勢の人を幸せになどできないのである」

人生は悲しみひとつ。
そう思いきわめれば、
そこはかとない無常観に包まれ、
生きとし生けるものに対して優しい眼差しが向けられる。
ボクが求めている境地はココなんじゃないか。
悲しみを根っこに持つ明るい無常観、とでもいうべき境地なのではないか。
 

今の瞬間が幸せでも、次の瞬間は不幸の淵に立っているかもしれない。
一寸先は闇で、突然の輪禍であの世に逝ってしまうかもしれないのだ。
現にそんな事件や事故が後を絶たない。

酒を飲みながらそんなことにのべつ思いをめぐらせているわけではないが、
「苦い酒」「悲しい酒」の味だけは心に刻んでおいたほうがいい。

星の王子様は酔っぱらいが住む星を去る時、こんなふうに呟く。
❛The grown-ups are certainly very , very odd,❜



2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    こんばんは。
    盆棚の前で、いやご先祖さまと共に白ワインを呑んでいる田舎者です。

    労さま、いやー本当ですね。『人生は悲しみひとつ』。そのひとつの奥底には
    無限の広がりの幸せの世界が待っているのだと感じています。それは両親が亡くなって
    涙し、親のありがたさが分かりはじめたからです。

    今日はいつも呑んでいるコンビニ白ワインがほろ苦く感じています。このほろ苦さは
    ご先祖さまからの贈り物なのかもしれません。

    ありがとうございました。

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  2. 田舎者様
    身近にいた大切な人を突然失くしてしまうと、
    誰もが虚無的な感慨にとらわれてしまいます。

    平和な世界にどっぷり浸かってしまうと、突然襲ってくる不幸に遭遇すると、
    自制心を失い、半狂乱になってしまうことがあります。

    人類の歴史を俯瞰してみると、平和な時代よりも自然災害や戦乱に明け暮れた
    時代のほうが圧倒的に多いのです。その戦火に打ちひしがれ希望を失った人々を
    救済したのがいわゆる〝宗教〟というものであります。

    この世はあまりに悲しみに満ちています。
    でも天国に行けば穏やかな日々が約束されている。

    「死ねば72人の処女とナニができる」などと教える宗教もあります。
    ボクは無宗教な人間ですが、宗教心だけはあります。
    それはごく原始的なもので、こんなことをしていたら「ご先祖様に顔向けできない」とか、
    悪いことをしたら「お天道様がきっと見ている」といったものです。

    それとボクには武士道的な倫理観もあります。
    日本人の倫理観を形作っているものは、神道的なものと、先祖崇拝的なもの、
    そして儒教、仏教、武士道といったものがチャンポンにされています。
    それらの濃淡は人それぞれでしょう。

    『人生は悲しみひとつ』
    そう思いきわめてしまえば、怖いものはありません。
    幸せなど一瞬間の〝かりそめの想い〟なのです。

    人生の本質が〝悲しみ〟であるとすれば、
    人間は自然と謙虚になります。

    謙虚が一番。
    謙虚なもの同士で、近いうちにコンビニ白ワインで一杯やりましょうね(笑)。



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