会社人間だったおじさんはとりわけ哀しい。
仕事がなくなると抜け殻みたいになり、家の中でも心安らぐ居場所がない。
時々、奥方の買い物につき合ったりするが、後ろからトボトボついていくだけで、
奥方は心の中で、(この役立たず!)と思っている。
おじさんは給料を運んでくるだけの役回りで、
その役から降りたら、とたんに存在価値がなくなってしまった。
それでも社交的な性格なら救われる。
近所の同好の士と交わって、趣味に生きたりして別の生き方を模索できるからだ。
非社交的で無趣味の人間はそれこそ孤立するしかない。
で、しかたがないから仏頂面を終日さらしている。
奥方は、「そのしんねりむっつりした顔、どうにかなんないの?」
などと不平を並べるが、おじさんには穏やかな温顔の用意がない。
おじさんは企業戦士などと称えられおだてられてきたが、
ビジネスの戦場からひとたび離れると、からっきし弱い戦士だった。
つぶしが利かないから、日常生活のどのシーンにも溶け込めず、
いたるところで齟齬をきたす。
おじさんはよくよく不器用にできている。
こんな哀しいおじさんたちばかり身近に見ていると、
つい手を差し伸べたくなる。
主夫歴30年のボクは、自信を持ってこう言いたい。
「おじさんなんか捨てちゃいなさい!」
名利だとか体裁ばかりにこだわって、自分の心を開けない社会不適応者のおじさんたち。
ボクは、そんなおじさんたちを哀れに思い、経験に則してこう言い切るのだ。
「おじさんなんか辞めて、おばさんになっちゃいなさい!」
ボクはいま、細胞の88%がおばさんで、「おばさん化」は時々刻々と進んでいる。
おばさんになると、気が楽だ。英国のEU離脱だとか、米国大統領選だとか、
イスラム国あるいは参院選について、頭を悩ませなくても済む。
近所のおばさんと会ったら、
「おたくの息子さん(お孫さん?)、東大に受かったんですってね」とか、
「最近、野菜が高くて困ってんの。農協の直売所は少しは安いかしら……」
などと、ごくごく卑近な話をしていればいい。
話はすべて〝形而下〟的なものばかり。〝形而上〟的な話をしたりしたら、
いっぺんで不審者扱いされてしまう。
世間を茶にしてのんきに暮らす。
そこの難しい顔したおじさん!
去勢しなくても〝おばさん〟にはなれますから、いっぺんやってみます?
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