2016年12月31日土曜日

2016年、老生の「10大ニュース」

今年もいろんなことがあった。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、
怒り狂ったこと……そして大切な人を喪ってどれだけ涙にくれたことか。
わが心の師匠でもある作家の佐藤愛子女史は、
悩みの量こそ人間の深さ》だと言っている。人生は日々修行なのか。

そんなわけで、大晦日を迎え、今年一年の身辺些事をふり返ってみる。
題して「嶋中労の〝今年の10大ニュース〟」

次女懐妊す🙌
体重50キロあるかないかのスレンダーな次女が、元アメフト選手で、
体重100数十キロの〝超人ハルク〟のような伴侶を得たとはすでに報告ずみだが、
この次女が身ごもった。来春の出産予定でどうやら男の子らしい。母子ともども
健やかであれ、と心より祈る。

フランス人と見まちがわれた😅
近所の公園でいつものように筋トレをしていたら、ベンチに座っていたじいさんに、
「フランス人ですか?」と訊かれた。「えっ? おれがフランス人?」
このおっさん、俺をおちょくってんのか? それとも……???? 当方、ニット帽にグラサン
姿で少し怖そうな雰囲気。そのコワモテがなんでフランス人になっちゃうわけ?
(そうか、この全身から匂い立つそこはかとない文化の香りってものに気圧されて、
つい「もしかしてフランス人かも」と思わしめてしまったんだな……ウンウン、ナットク)
しかし、いまになってもこの「嶋中労=フランス人」説は謎に包まれたまま。巷では
ただのボケ老人が口から出まかせを言っただけ、などと噂されている。

風呂場をリニューアル
給湯器がイカレてしまい、熱い湯が出なくなったので、思い切って風呂場を丸ごと
リニューアル。ウン百万もかかってしまったが、きれい好き?のボクとしては、
やむを得ぬ出費。おかげで風呂場だけは高級ホテル並みになった。

友人の奥方が次々と他界す
仕事関係で2名、近所の仲間で1名、旦那を置いて奥方から先に逝ってしまった。
残された旦那たちの嘆きようといったらない。揃ってガンによる死で、
まだ60代の若い身空である。先に逝くべきは男、としみじみ思った。

夏祭りのステージに新メンバー
わがおやじバンド「蛮爺's」にリードギターのO氏とピアノ&ボーカルのS女子が
加わった。どっちもセミプロで、場数も踏んでいる。同じ団地の住人だから気楽に
会って練習ができるのがいい。O氏から「ギターの腕と歌はひどいもんですね。
でも声だけはいい」と真顔で言われた。ガーン! 本気で歌手をめざしていたのに……

帯状疱疹を患う😭
ある日突然、首筋と背中に赤い斑点が。そのうちひどい頭痛がしてきたので医者に
行ったら「帯状疱疹です」とのこと。それから約1カ月間、頭を針で数秒ごとに刺される
ような頭痛が続いた。治ったと思ったら、こんどは「帯状疱疹後神経痛」というやつに
悩まされ、身も心もボロボロ。ただの発疹、などと甘く見るとトンデモナイ目に遭う、
という教訓をあらためて学んだ。

500ページの大作を書く
ゴーストの仕事だが、某有名企業家の本を請け負う。えっちらおっちら書き続け、
なんとか〆切に間に合った。発刊は来春か。

休肝日のない一年😝
ほとんど毎日、酔っぱらっていた。
「toriaezuビール」に始まって、あとはワイン、もしくは日本酒、近頃はウイスキーへ
とつながっていく。お酒は控えめに、といつも医者から小うるさく言われているのに、
診察したその晩にはもう盃を重ねている。懲りないジジイである。

筋トレに励む💪
膝がイカレて、ウォーキングやランニングができないため、放っておくと筋力が
衰えてしまう。で、始めたのがダンベルやアンクルウエイトを用いた筋トレ。水泳を
やっていた昔からけっこうムキムキだが、いまはさらにムキムキマンに。そのうち
佐藤愛子みたいに鬼をもひしぐムキムキじいさんになってしまうかも。

相変わらず本の虫
二日に一度の割でアマゾンに📚を注文。
読みたい本がいっぱいあるってことは、いまだ好奇心とか探求心が衰えていない
という証左なのか、書斎はすでに本で満杯になり、他の部屋に収納しているが、
それも限界に達しつつある。本の虜になって50年、生涯「狂」の字を冠するような
bookwormでいたい、と思う今日この頃である。






←人形町の水天宮様で安産祈願をする娘夫婦。
神さま、よろしくたのんます

2016年12月22日木曜日

リベラルが〝愚かな人〟の意に

昨日、いつものプールで、いつもの仲間たちと楽しいひとときを過ごした。
泳ぎの合間にはたわいのないおしゃべり。仲間の一人のカトリーヌは、
泳ぎの達者なベルギー人で、近くの大学で教鞭をとっている。

「ドイツのクリスマスマーケットでテロがあったね。ベルギーでもフランスでもテロが
起きてる。ヨーロッパは大変なことになってるね」
とボクが言ったら、
「そう、年に数回帰るけど、帰るたびに移民・難民の数が増えているのを実感するわ」
とカトリーヌ。日本語オンリーではあまり複雑な話はできないので、英語とフランス語が
チャンポンになった不思議な言語をあやつる。

彼女はいわゆる知的エリートに属する人間なので、どっちかというとリベラル派で、
「私はテロも怖いけど、トランプの出現のほうがもっと怖い。
世界はこれからどうなってしまうんだろ……」
と漠然とした不安を口にした。

余談だが、今アメリカでは「Liberalリベラル=自由主義の、進歩的な」という表現が
使われなくなってきたという。日本ではリベラルは比較的良い意味として使われて
いるが、アメリカではむしろ〝愚かな人〟の意味さえ含み始めている。
では別の表現で何というのか?「progressiveプログレッシヴ=進歩的」という言葉を
使うのである。となるとボクなんかさしずめ「regressiveリグレッシヴ=退行的」って
やつだな。進歩的と称するやつにロクな人間はいないからな😆。

米国大統領選にからんで、青山学院大学教授の福井義高はこう言っている。
《そもそもヒラリー・クリントンは極めて好戦的です。一方、トランプは一貫して
軍事力の行使に否定的です。アメリカでは、いわゆる保守もリベラルも主流派は
好戦的であって、「リベラルは反戦、保守は好戦的」という日本的()図式は
まったく当てはまりません》

日本では、朝日新聞を読んでいるような連中がリベラルを自称し、ヒラリー・クリントン
大統領を待望していたようだが、ヒラリーが大統領になったら、もっと大規模な紛争や
戦争が起こるかもしれない。なにしろ「アラブの春」を演出し、世俗化し安定して
いたリビアという国をグチャグチャにしてしまった張本人があのヒラリーなのだから。

トランプの支持者たちは概して〝おバカな連中〟と中傷されているようだが、
それは米国の大手メディアの論調であって、その背後にはウォールストリートの
キングメーカーたちの影が見え隠れしている。すなわち軍産複合体であり、
ネオコンであり、金融資本でもある連中だ。彼らがアメリカの既得権益を
すべて握っている。

プール仲間のカトリーヌはトランプ時期大統領を頭ごなしに否定していたが、
トランプの低俗な暴言はともかく、彼のやろうとしていることは、むしろ
歓迎すべきことかもしれない。こればっかりは蓋を開けてみなければ、
だれにもわからないけどね。

ボクは日本のリベラルと称する連中がきらいで(底抜けのバカだから)、
彼らエリートの主張することと逆のことをやっていけば日本は安泰、と思っている。
朝日の社説と反対のことをやっていれば日本は安泰、というのと同じである。
現に、戦後ずっとそうだった。それでも朝日に操(みさお)を捧げている自虐史観で
支那びいきの酔狂人がごまんといるから、「マジですか?」とボクは訝しく思うのだ。

このブログを読んでくれている人の中には、こうした考えに反発を感じる人も少なく
ないと思うが、ボクなりの歴史観、人間観、世界観のたどり着いた場所がいま現在の
「シマナカ流保守主義」というものなのだからしかたがない。
異論がある人は遠慮なくどしどし反論してほしい。

アメリカという国名は来年から
〝 The Divided States of America〟に変わるという(😜)。
ちょっぴり不安だが、お楽しみでもある。


←アメリカ国旗もこんなふうに変わるらしい(😵)








※追記
divideとかdivisionという言葉から思い出されるのは、
JFKの弟でアメリカ大統領選に立候補していた
ロバート・ケネディの演説だ。ボビーは、キング牧師の
暗殺を聞き白人に対して怒りと憎しみに震える
黒人たち2万人に向かって、即興でこう語りかけた。
《What we need in the United States is not division
what we need in the United States is not hatred;
what we need in the United States is not violence
and lawlessness , but is love and wisdom……
アメリカに必要なのは分裂ではありません。
憎しみでもありません。暴力や無法状態でもありません。
私たちに必要なのは愛であり知恵であり……》

2016年12月19日月曜日

フランス人?のおじいさん

団地内のジャングルジムでいつものように〝ぶら下がり健康法〟を
実践していたら、そばのベンチに腰かけていた「おじいさん」が、
「先週もやっていましたよね」と声をかけてきた。

足首に2㎏ずつアンクルウエイトを装着し、階段を昇ったり鉄棒に
ぶら下がったり……ウエイトトレーニングは毎日欠かさない。
ジャングルジムの端っこにぶら下がり、下半身を振り子のように
左右に振る(1セット約20秒を3セット)運動はかなりきつい。

なにしろ体重が84㎏あり、そこに4㎏のウエイトを着けるから、計88㎏。
それもただぶら下がるのではなく、振り子のように左右に大きく振るのだから
手がちぎれそうになる。でもこれをやると背骨がぐんと伸びるのか、
実に気持ちがいい。

我がいでたちはニット帽にレイバンのサングラス、寒い朝だとマスクを着ける時もある。
「まるでコンビニ強盗だね」といわれたことがあるが、大柄なだけにかなり怖そう。
その怖そうなおじさんに、勇を鼓したか、くだんのじいさんが声をかけてきた。

「ええ、毎日ここでジャングルジムの鉄棒にぶら下がってるんです」
ボクが愛想よく返事をすると、じいさんは安心したのか、
「何かにぶら下がるのは身体にいいって言いますからね」
と相槌を打ってきた。

しばらくたわいのない話をしていたら、突然、
「外国の方ですか?」と訊いてきた。
「えっ? ちがいますよ、純粋な日本人ですよ」
とボク。(さっきから訛りのない美しいニホンゴをしゃべっているじゃないの)
なにトボけたこと言ってるんだよ、このじいさんは。

そうしたらこのじいさん、
「フランス人かと思いましたよ」だって。
なぜ俺がフランス人なんだ? このじいさん、俺をからかってんのか?
まじまじと見つめてしまったが、爺さんはいたって大マジメである。

そうか、ニット帽にサングラス、それにどことなく漂うハイカラな雰囲気。
全身からあふれ出す文化の香りというか、匂うような教養ってものが、
じいさんをして思わず「あっ、フランス人だ!」と言わしめてしまったんだな(フムフム)。
ボクはフランス人に見まちがわれたことに、妙にナットクしてしまった。

じいさんはさらに「失礼ながらおいくつですか?」
と訊くから、「27年の辰年です」と応えたら、「あっ、おんなしだ」

ギョエーッ!
俺はこのじいさんと同い年かよ? ウッソだろ?

フランス人とまちがわれて、ついその気になっていたら、
一気に奈落へ突き落とされてしまった。

女房にこのことを報告したら、
「アフリカ系のフランス人ね、きっと。Alexiaわが家にホームステイしたフランス人女性)が
聞いたら〝お父さん、頭がおかしくなっちゃったの?〟って呆れ返るよ」
とバカにされた。

そうだよな、よほど眼の悪い人か、脳みそパッパラパーのじいさんでないかぎり、
フランス人ですか? なんて訊かないもんね。
ボクの全身から匂い立つような、そこはかとない文化の香りも、
途端に色褪せ、パリ名物の犬の糞のような香りへと脱落していってしまった。

ああ、俺はいつ〝おじさん〟から〝おじいさん〟に脱皮したのだろう。
今夜はショックで眠れそうにない。


※お知らせ
文中、不適切とされる言葉があります。が、わが家はいわゆる
political correctnessを〝偽善〟と考えておりますので
ご了解ください。ついでにいうと米国のaffirmative action
も偽善であります。あれによって人種差別は深く静かに潜行して
しまいました。



←1泊2日の伊豆修善寺への旅行。
伊豆の国・パノラマパークの
ロープウェイ山頂から眺めた
富士山(12月18日)。やっぱり
富士は凛としていていいねえ。
フランス人に生まれなくてよかった(笑)。

2016年12月16日金曜日

女性の気になるしぐさ

女性には女性特有のしぐさがある。
話している最中に、しきりに自分の髪の毛をいじるとか、
相手の肩や背中を笑いながら叩いてくるとか、
危険なくらい間近に接近してくるとか……

こうしたしぐさはまだ微笑ましい部類といえるが、
きらいなしぐさもある。「手で口を覆いかくす」というしぐさだ。
若い女性もおばさんたちも、ほとんどの女性が手で口元をかくす。
外国人にはまず見られないしぐさだから、日本女性特有なのだろう。
ボクはこの無意識のしぐさに非常な違和感を感じる。

心理学者に言わせると、その理由がいくつか考えられるという。
①自分に自信がない→ほんとうの自分をかくしたいという心理が働く。
②大きなプレッシャーがかかっている→心を落ち着かせるため。
③自分をよく見せたい→上品な人間であることをアピールしたい?
④自己防衛本能が強い→口をかくすことで相手の侵入を阻む。結界のつもりか?
⑤よくウそをつく人→表情の変化をさとられないようにしている。

まあ、こんな理由が考えられるそうだが、
口をかくそうとする人は、基本的に「相手に心を開くのが苦手」な人が多く、
どっちかといえば奥手で引っ込み思案の人が多いという。口を手で覆う
しぐさは「自分の心の奥をのぞかれたくない」という無意識のシグナルだからだ。

ボクは開けっぴろげな人間なので、この手の警戒心の強そうな女性は苦手だ。
だいいち、あのしぐさはカッコ悪い。外国人が見たら不気味に思うんじゃないかしら。

「口を押えるんじゃない!」
テレビの〝口隠し女たち〟に向かっていつも吼えていたせいか、
わが娘たちは口を手で覆ったりしない。
ガハガハと、大口開けて景気よく笑う。
そのせいで嫁にいけない、という弊害があるかもしれないが(笑)、
ノーテンキな〝ガハガハ路線〟については大賛成だ。

大和撫子たちよ! 手で口を覆うのをやめてくれまいか。
覆ったおかげで器量が3割ほど低下しているのだよ。
歯並びが悪かろうが、歯が黄ばんでいようが、
はたまた歯の間にネギやエノキ茸の切れっぱしが挟まり、
どうにも間抜けな顔になってしまっていてもいいじゃないの。
むしろそのほうがご愛敬というものでしょ。

もう一度言う。
そのかわいいお口を手で覆いかくすのはやめてくれ!



←韓国では男も口元を手でかくすようだ。
オカマ野郎だな、こいつらは。

2016年12月7日水曜日

謝罪などしなくていい

安倍総理がハワイ真珠湾に出向き戦没者を慰霊するという。
オバマ大統領が広島まで足を運び慰霊してくれたので、その返礼という見方もある。
それと強固な日米関係を世界にアピールすることで、支那やロシアを牽制したい
という意図もあるだろう。

軍事施設と戦闘員だけを狙った真珠湾攻撃と、非戦闘員である一般市民を
無差別に虐殺した原爆投下や東京大空襲を同列に視るなどとうていできない
相談である。が、外交とはしょせん手練手管。日米の強固な絆を派手に演出するには
もってこいの素材といえるだろう。

「Remember Pearl Harbor!」「Don't forget Pearl Harbor!」などという。
宣戦布告もせず卑怯なだまし討ちをした日本の仕打ちを永久に忘れるな――。
1941年12月8日、日本は自らの存亡を賭け、ハワイ真珠湾を攻撃した。
日本の不意打ちといわれているが、東京裁判では事務的な手続き上のミスで、
通達が遅れた、という事実が確認されている。米国駐在の外務省の役立たずどもが、
暗号の翻訳に手間取り、開戦から1時間ほど経ってから米国に伝えたのだ。

だまし討ちというが、レーダー技術が発達し、暗号解読技術も進んでいた米国は、
かなり以前から日本の連合艦隊の動きを察知していたといわれている。
現に12月1日、ルーズベルト大統領は各地の軍司令部に戦争準備の指令を
出しているが、ハワイの軍司令部だけは除かれていた。

そしてまさに狡知といえるのは、肝心かなめの空母2隻、新鋭艦19隻はあらかじめ
外洋に移動させ、すでに御用済みのポンコツ老朽艦16隻だけを港に残し、
日本の先制攻撃を誘導したことだ。日本の攻撃は飛んで火に入る夏の虫だった。
急襲で死亡したアメリカ兵は約2400人。孤立主義から脱し、欧州戦線や太平洋戦線
へ参戦するための口実として、2400余の尊い命が生贄(いけにえ)にされた。

およそ1年前の11月、英国の工業都市・コヴェントリーがナチスドイツによる爆撃を受けた。
この空襲について、英国政府は事前に察知していた。エニグマ(ドイツの暗号)をすでに
解読していたのだ。しかし、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、英国政府はコヴェントリー
市民を見殺しにした。 (小の虫を殺し、大の虫を生かす for the greater good)ために。
戦争はいつだって非情なのである。

フランクリン・ルーズベルトという男は激しい人種差別主義者で、日本人嫌いでも
有名だった。'41年8月、米国は日本への石油を全面禁輸にする。当時日本は、
石油の99%を輸入していた。大半はアメリカとオランダ領インドネシアからだった。

石油がなければ、軍艦も戦車もトラックも動かない。生き延びるためには
戦争をするしか選択肢がない。同年8月、ルーズベルトと英国のチャーチルは、
「大西洋会談」で日米開戦を密約していた。いかに日本に先制攻撃を仕掛けさせるか。
二人はすでに協議を済ませていた。ロンドンはナチスドイツの空爆にさらされ、
「このままではイギリスが滅びる」と、チャーチルはかなり焦っていた。
なんとしてでもアメリカを参戦させなくては……英国は必死だった。

それ以前にもアメリカは、「排日土地法」や「排日移民法」などを成立させ、
日本人移民をシャットアウトしている。豪州やカナダなどもすぐに追随した。
当時の日本は人口過剰で、おまけにひどく貧しかった。白人諸国への移民の道が
閉ざされたら、残るは満州しかなかった。満州は日本の生命線となった。

そんな状況下で、'41年11月、米国務長官のハルが、いわゆる〝ハル・ノート〟
と呼ばれる最終提案を突きつけてきた。
①支那大陸からの全面撤退。
②日独伊三国同盟の即時破棄など。
東京裁判で、インドのパール判事は言っている。
こんなものを突きつけられたら、窮鼠猫を咬むじゃないが、
あのちっぽけな)《モナコ王国やルクセンブルク大公国でも米国に宣戦しただろう》と。

戦後'51年5月、かのマッカーサーでさえ米国上院軍事外交合同委員会にて、
《あの戦争は日本の自存自衛のための戦争だった》と証言している。ハル・ノートを
飲めば、1200万人の失業者が発生する。日本はそのことを恐れた。
で、やむにやまれず戦争へと飛び込んでいった。動機はあくまで安全保障の必要に
迫られてのこと。侵略戦争などではなかった、と証言しているのだ。

こうした事実を百も承知の上で、安倍総理はハワイ・真珠湾に出向いていく。
広島でのオバマがそうであったように、謝罪などしなくていい。
戦争の愚かさを訴え、無念に散った死者の霊を慰め鎮めるだけでいい。



←米国によって仕掛けられた
真珠湾攻撃。

2016年12月4日日曜日

栗よりうまい十三里半

ボクの生まれ故郷の川越は芋の町といわれている。
昔からサツマイモの産地として知られているからだ。

ボクが川越出身だと知るや、相手はパブロフの犬みたいに、
「川越といえばサツマイモで有名ですよね」
などと反応してくる。いったい幾たびこのセリフを聞かされたことか。
なかには「それじゃあ、文字どおりの芋にいちゃんだ」
と腹を抱えて笑い出す失礼な輩もいる。
芋にいちゃん――ああ、これもすでに耳タコだ。

市街地に育ったシティボーイのボクとしては実に心外なのである。
「サツマイモはね、川越の在のほうで作っているものでね、
ボクらシティボーイには関係ないのよ」
内心、こんなふうに反論してやりたいのだが、相手の頭の中にある
「川越=イモ」という公式が強固なだけに、なかなか耳を貸してくれない。

先日、わが団地内の「ラジオ・シーアイ」に出演した際、ひとしきり川越の自慢話を
したのだが、松江町にあった旧映画館「ホームラン劇場」の真ん前にある「つぼ焼き」
屋も話題に出た。この店では大きな壺の中に芋を入れて蒸し焼きにしているのだが、
この蒸かし芋が母の大のお気に入りで、子供の時分、よく買いに行かされた。

江戸期、焼き芋屋の看板には「八里半」と書いてあった。
栗(九里)みたいな味がするが、それにはやや及ばないというので八里半。
ほどなくして小石川に「十三里」という看板をかけた店が登場する。
「栗よりうまい(九里四里うまい)」とかけた駄洒落である。

ただ「十三里(九里+四里)」では、「栗より……」と言っているだけで、
旨いか不味いかわからない。そこで「栗よりちょっとばかり旨い」ということで、
「十三里半」と書く店も出たという。

またこんな江戸小噺もある。
《わしが近所の八百屋で、十里という焼き芋があるゆえ、八里半より一里半多いから、
これはよかろうと思い食ってみれば、腐って生焼け。何度食べても同じだから、
亭主に聞いたところ、『腐って生焼けゆえに十里でござります。食うたびに、
五里五里(こりごり)いたします』》

悪乗りしてもう一つ尾籠な話を披露する。
これもまた江戸時代の話だが、自由自在に放屁できる奇人がいたという。
彼らは〝曲屁師(きょくへし)〟と呼ばれていて、両国界隈では人気の見世物
だったらしい。この曲屁師たち、仕事のために常に芋を食べていたそうだ。
で、こんな川柳も残っている。

        両国へ屁をかぎにいく四里四方

わざわざ身銭を切ってオナラを嗅ぎにいく、というのだから、
江戸文化がいかに豊穣であったかが分かろうというもの。
近頃は亭主の鼻先で平気で放屁する〝女房〟という名の曲屁師がいる
と聞くが、その臭いに陶然とする行為を「風流」と呼ぶかどうかは知らない。





←川越のつぼ焼き屋さん

2016年12月1日木曜日

文弱の徒よ去れ!

慶應義塾を創設した福沢諭吉は、
先ず獣身を成して後に人心を養え》と説いている。
〝お受験〟などと称して、勉強ばかり強いる親がいるが、
勉強の前にまず健康な身体を作らなくてはならない。

娘婿は体重が100キロ以上あり、胸板がボクの2倍はあろうかという、
まさに〝獣身〟そのものといった肉体派で、学生時代は柔道とアメフト
で鳴らしたという。彼の兄もアメフトで鍛えたマッチョマンで、いまは
アメフトの名門・関西学院大のコーチをやっている。彼らの父親も
スポーツマンで、やはり学生時代は柔道とアメフトで名を馳せた。

ボクは勉強ばかりでスポーツと無縁の「文弱の徒」ってやつが大の苦手で、
娘たちにも「結婚するなら多少バカでもいい、ガッシリしたスポーツマンを選べ」
と言ってきた。その教えが効いたのか、次女はプロレスラーみたいな男を連れてきた。
婿が悧巧かバカかは知らない。夫婦なんてものはどう転んだって
「割れ鍋に綴じ蓋」、似た者同士に決まっている。いずれにしろ、
文弱驕奢(きょうしゃ)を退ける――これはボクの生き方そのものといっていい。

良寛については『嶋中労の忘憂日誌』の中で、幾度かふれてきた。
江戸後期の僧侶で、自身を〝大愚〟と称していた。
《無欲一切足、有求万事窮(欲無ければ一切足り、求むる有らば万事窮す)》
もっとも大賢は愚なるが如し、というから「大愚=大賢」なのだろう。

ボクにも人並みの欲はもちろんある。が別段、驕奢な暮らしがしたいわけではない。
身に纏うものは襤褸(ボロ)であっていい。宮沢賢治ではないが、
《一日に玄米四合と味噌と少しの野菜》、そしてできれば酒が二合ほど
あれば言うことはない。それにしても賢治さん! 一日に四合の玄米めしとは、
少し食い過ぎじゃありませんか? ボクも玄米めしの愛好家だが、
いくらなんでも一日四合は食べられませんよ。

文弱の徒はしばしばこう言う。
「この映画を見て癒されました」、「猫の動画を見てると心が癒されるんだよな」と。
どいつもこいつも過保護で育ったくせして神経病を患っていやがる。
病人じゃあるまいし、なぜ「心が洗われる」という言い方をしないのか。
なぜ「感動に震えました」といわず「鳥肌が立ちました」などと言うのか。
「鳥肌……」は本来、寒さや恐怖におののく時に使う言葉だろ。
「ぜんぜん大丈夫」なんていうのも気色悪いからやめてくれ。

なんだか話が脇道に逸れてしまったようだが、
要は数年前、芥川賞をとった田中慎弥みたいな文弱の徒が大きらいだってことだ。
あのナヨナヨした軟弱そうな体つきと、神経質そうな顔つきを見ていると、
こいつの書く文学など、しょせん貧寒な「四畳半文学」の域を出まい、
とつい思ってしまう。田中センセーよ! 糞のつっかい棒にもならない、
つまらぬ活字を連ねるより、もっと身体を鍛えなさいよ。
先ず獣身を成してから人心を養うこと。あんたはあべこべです。







←バルコニーから臨む紅葉。
癒される、じゃない(笑)、心が洗われますな