「おい、ソウタ。ずいぶん大きくなったなァ。ハハハ……ジージだぞ、これ、ソウタ!」
カミさんが、娘の家で撮ってきた孫の動画を見せてくれた。
まるまる太って、足をバタつかせている。元気いっぱいである。
孫の名は「蒼太」。
すっかり好々爺に成り下がってしまった、骨なしジージのこのボクは、
最初、この名前にちょっとだけ抵抗を感じていた。
蒼太の〝蒼〟という字へのささやかな抵抗である。
手元にある聖書のヨハネ黙示録第六章にこんな一節がある。
《視よ、蒼ざめたる馬あり、之に乗る者の名を死といひ、陰府(よみ)これに随ふ……》
ロープシンの名作『蒼ざめた馬』という標題はここから採られている。
準・全共闘世代であるボクは、多感だった学生時代、この作品を読んで
テロリストというものに漠然たる憧れを持った。テロリストに憧れるなんて、
今にして思えばトンデモナイことであるが、浅学菲才の青二才だったボクは、
ただ単純に〝かっこいい〟などと思っていた。
ロープシンは本名のサヴィンコフの名で『テロリスト群像』という本も書いている。
実際、サヴィンコフは本物の革命家であり、テロリストだった。『蒼ざめた馬』は
サヴィンコフの自伝的小説なのである。今でも思い出せるが、これらの本には、
やりきれないくらいのニヒリズム(虚無主義)が主調底音として鳴り響いている。
全共闘世代の愛読書ともいえた『蒼ざめた馬』。この〝蒼〟と孫の〝蒼〟に
いったいどんな関係があるのだ、と問われても困るが、「蒼」という字を見ると、
反射的にロープシンのこの作品を思い浮かべてしまうのだから仕方がない。
字源字典の『字統』の「蒼」の項には、
《「艸(くさ)の色なり」とあり、水の色を滄というのに対して、草の色をいう》
とある。つまり「蒼太」には〝青草よ、太く雄々しくあれ〟という娘夫婦の熱い
想いがこめられている。その前に、ボクは漢和辞典と首っ引きで、夢のありそうな
名をいっぱい提案したのだが、すべて却下されていた(笑)。
まことに口惜しいことではあったが、今にして思えば、「蒼太」もなかなかの
良き名前ではないか、と思い直している。全共闘世代および準・全共闘世代と
いうものは、ロープシンもサヴィンコフも知らない若い世代にとっては、
屁理屈ばかりこねくりまわす、なんとも荷厄介な世代だろうとは思う。
生後2カ月経ち、蒼太の首ももうじき座るという。
そのうち、ダッコして近所を散歩する日も来るだろう。
理屈っぽいジージを持って、この孫も苦労が絶えないこととは思うが、
どうか末永くおつき合い願いたい。やれやれ……
←世界最大と言われる諸橋轍次の
大漢和辞典。この全13巻、ボクも
持ってます。といっても、これを見て
孫の名を考えたわけじゃない。
世話になったのは主に『字統』など
白川静氏の字典だ。漢字の辞書に関しては、
本家の支那より日本のほうが進んでいて、
あっちがこっちにお伺いを立てるというから、
あべこべである。
※追記
ボクが仲人したかつての部下Y君は、息子に「蒼馬」という
名をつけた。もろ、ロープシンである。
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