2017年5月29日月曜日

嗚呼、われら屁理屈世代

「おい、ソウタ。ずいぶん大きくなったなァ。ハハハ……ジージだぞ、これ、ソウタ!」
カミさんが、娘の家で撮ってきた孫の動画を見せてくれた。
まるまる太って、足をバタつかせている。元気いっぱいである。

孫の名は「蒼太」。
すっかり好々爺に成り下がってしまった、骨なしジージのこのボクは、
最初、この名前にちょっとだけ抵抗を感じていた。
蒼太の〝蒼〟という字へのささやかな抵抗である。

手元にある聖書のヨハネ黙示録第六章にこんな一節がある。
《視よ、蒼ざめたる馬あり、之に乗る者の名を死といひ、陰府(よみ)これに随ふ……》
ロープシンの名作『蒼ざめた馬』という標題はここから採られている。

準・全共闘世代であるボクは、多感だった学生時代、この作品を読んで
テロリストというものに漠然たる憧れを持った。テロリストに憧れるなんて、
今にして思えばトンデモナイことであるが、浅学菲才の青二才だったボクは、
ただ単純に〝かっこいい〟などと思っていた。

ロープシンは本名のサヴィンコフの名で『テロリスト群像』という本も書いている。
実際、サヴィンコフは本物の革命家であり、テロリストだった。『蒼ざめた馬』は
サヴィンコフの自伝的小説なのである。今でも思い出せるが、これらの本には、
やりきれないくらいのニヒリズム(虚無主義)が主調底音として鳴り響いている。

全共闘世代の愛読書ともいえた『蒼ざめた馬』。この〝蒼〟と孫の〝蒼〟に
いったいどんな関係があるのだ、と問われても困るが、「蒼」という字を見ると、
反射的にロープシンのこの作品を思い浮かべてしまうのだから仕方がない。

字源字典の『字統』の「蒼」の項には、
《「艸(くさ)の色なり」とあり、水の色を滄というのに対して、草の色をいう
とある。つまり「蒼太」には〝青草よ、太く雄々しくあれ〟という娘夫婦の熱い
想いがこめられている。その前に、ボクは漢和辞典と首っ引きで、夢のありそうな
名をいっぱい提案したのだが、すべて却下されていた(笑)。

まことに口惜しいことではあったが、今にして思えば、「蒼太」もなかなかの
良き名前ではないか、と思い直している。全共闘世代および準・全共闘世代と
いうものは、ロープシンもサヴィンコフも知らない若い世代にとっては、
屁理屈ばかりこねくりまわす、なんとも荷厄介な世代だろうとは思う。

生後2カ月経ち、蒼太の首ももうじき座るという。
そのうち、ダッコして近所を散歩する日も来るだろう。
理屈っぽいジージを持って、この孫も苦労が絶えないこととは思うが、
どうか末永くおつき合い願いたい。やれやれ……

←世界最大と言われる諸橋轍次の
大漢和辞典。この全13巻、ボクも
持ってます。といっても、これを見て
孫の名を考えたわけじゃない。
世話になったのは主に『字統』など
白川静氏の字典だ。漢字の辞書に関しては、
本家の支那より日本のほうが進んでいて、
あっちがこっちにお伺いを立てるというから、
あべこべである。



※追記
ボクが仲人したかつての部下Y君は、息子に「蒼馬」という
名をつけた。もろ、ロープシンである。

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