近頃の若い人は政治の話をしないのだそうだ。
NHK BS1の「クールジャパン」という番組で、そんな調査報告をしていた。
たしかにそうかもしれない。若者同士でお堅い政治談議を戦わせている場面など、
ついぞ見たことがない。
実際、番組の中で街行く人に訊いてみると、
「ええーっ、政治の話ですか? しないですね。関心ないし……」
「政治の話をすると雰囲気がギスギスしてくるでしょ? それがいやですね」
「いろんな考え方の人がいて、政治の話題だと考え方の違いが
もろ浮き彫りになっちゃう。誰もみな友達と対立するのがいやなんですよ」
などという意見が大半だった。互いの親和を築くことが優先され、
意識的に対立を避けている感じだ(ボクなんか、そこまでして友達がほしいなどとは思わない)。
女性はそもそも対立を避け親和を築こうとし、逆に男性は対立点を見出し、
異論をぶつけ合うことで真の友情を育もうとする――そんな内容のことが
物の本に書いてあった。あたらずといえども遠からずか。
ボクなんかもろ対立を厭わない部類で、むしろ意見の対立を望んでいるような
ところがある。生来酔狂な性格なのだ。世代的にはスチューデントパワーが吹き荒れ、
大学の構内に〝立て看〟があふれかえっていた世代で、話題といえば
辛気臭い政治の話ばかりだった。ボクはノンポリながら、どちらかというと
左翼思想のシンパだった(今はリベラル嫌いの最右翼だけどねw)。
ボクはよく酒を飲み、仲間たちと議論を戦わすが、話題といえばほとんど
政治絡みの話ばかりである。日韓の慰安婦問題、徴用工問題、憲法改正
すべきか否か、戦後民主主義はインチキか否か……酒の肴は苦みの利いた
政治の話ばかりなのである。
仲間の中にはボクが蛇蝎(だかつ)のごとくきらう朝日新聞大好き人間や、
中国大好き人間、またウソと整形顔だらけの韓流ドラマに目がないおばちゃん
などもいるが、ボクはまったく気にしない。
いろんな考え方があってしかるべきだし、絶対的に正しい意見なんてあるわけない。
ボクは相対的な考え方の持ち主なので、異論は大歓迎なのだ。
ただし、虫の居所がわるい時はケンカになることもある。
言い争えばしこりは残る。論破したからって、相手に恨まれるだけで、
何の得にもならない。でも、勢い余って「顔を洗って出直してこい!」
などとやってしまう。持ったが病で、こればっかりはどうしようもない。
根っからの〝ケンカ屋〟なのだ。
去年、わが家にホームステイしたフランス人留学生のルカLucas Blancは、
「お父さん、捕虜の生体実験をした731部隊についてどう思う?」とか、
「ドイツは謝ったけど、日本はアジア諸国に謝っていないよね」
などと、さもしたり顔でボクに論争を挑んできた。
高校生のルカとbook-wormのボク(年齢差50年)とでは知識の絶対量がちがう
だけでなく、彼は戦勝国に都合のいい歴史を習ってきているので、
事実誤認があるよと軽く反論するだけで黙らせてしまうことができる。
しかしボクは歴史や政治に興味を持ち、相手が嫌がりそうな質問もあえてする
「その心意気や良し」と思っている。
ところが日本の若者ときたら、そもそも「731部隊」を知らないし、
先の大戦のことなど何も知らない。
「えっ? 日本とアメリカが戦争をしたんですか? で、どっちが勝ったんです?」
これ、日本の高校で実際にあった生徒たちの反応だという。
一方、フランス人とイタリア人は「女と政治とサッカー」の話ばかりしている
というから、ルカが政治や歴史に興味を持つのはごくごく自然なことなのだろう。
しかし、通っていた日本の高校で、同級生たちと政治の話ができただろうか?
おそらく政治の〝せの字〟も出なかったであろう。政治家志望のルカにとっては、
さぞ欲求不満の日々だったに違いない。
若者よ、差し障りのないインターネットゲームや女の子の話ばかりしていないで、
たまには政治や歴史の話をしたらどうなんだ。意見が対立したって
いいじゃないか。言い合いになったら、最後は腕っぷしにものを言わせてやれ。
世の中「暴力はんた~い!」「話し合えば分かりあえる」の掛け声だらけ。
そのせいか、なよなよした草食系の男ばかりが拡大再生産されている。
対立こそが親和を生むのである。
対立を避け、自分を押し殺して築いた友情なんて屁みたいなものだ。
あっという間に砕け散り、跡形もなく消え去ってしまうだろう。
自分の思想的立場を旗幟鮮明にし、大いに論争をやるべし。
そして大いにケンカをすべし。
思いきり言い合い、殴り合ったら、互いの健闘を称え合い、肩を組んで飲むべし。
男の友情なんてものはそんな古典的図式の中にしか生まれない、
と昭和生まれのボクはいまだに信じている。
←こういうの、むかし何度もやったなァ。
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