2018年11月21日水曜日

今年も年賀状は控えさせていただきます。

ボクは満65歳を迎えたのを機に、心と身体の〝断捨離〟をすべく
年賀状やお中元、お歳暮の類のやりとりを一切やめてしまいました。
しかしカミさんは別で、従前どおりのやりとりを続けております。

お役所から「前期高齢者」のレッテルを貼られたこと自体には多少の反発を
感じましたが、身体のあちこちが錆びついて、油切れを起こしているのは
確かなことなので、この際、心身ともにすべてを〝初期化〟し、もういっぺん
ゼロから出発しようと考えたのであります。

伝統主義者のボクとしては内心忸怩(じくじ)たるものがあったのですが、
義理と人情のしがらみにがんじがらめになっていると、やるべきことが
できなくなる恐れがありますので、この際、目をつぶって「エイヤーッ!」
とばかりに、あえて不義理を断行させてもらったのであります。

というわけで、今年も年賀状は失礼させていただきます。
お歳暮も贈りません。年賀の挨拶回りもいたしません。
なかには「無礼千万なやつだ!」とお思いの方もあるでしょう。
兄弟親戚といった身内のものは、みなそう思っているかもしれません。

ただ賀状と中元、歳暮のやりとりを控えさせていただく、
というだけで、向後いっさいおつき合いをやめます、というわけではありません。
おつき合いは今までのまま、ただ形式ばった賀状や物品のやりとりは
控えさせていただく、というだけであります。

『血は水よりも濃い』という西諺がありますが、一方で、
『遠くの親類より近くの他人』という諺もあります。
疎遠になった親類より親密なつき合いの他人のほうが、
いざとなったら頼りになる、という意であります。

ボクも正直そう思います。実際、赤の他人の友人たちのほうが
何かと力になってくれますし、仲間内に長幼の序にうるさい叔父叔母の
ような人はいません。兄貴風を吹かす小うるさい輩もいません。
気楽でいいのです。

唐突ですが、Christmas is just around the cornerであります。
そしてほどなく大晦日が来て新年が明けるでしょう。
あっという間であります。
まるで人の一生のようです。

思えば突然襲ってきた右腕神経マヒとの闘いの1年でありました。
箸も満足に持てなかった右腕がちょっとずつ、ちょっとずつ動くようになり、
今では曲がりなりにもキャッチボールらしきものもできるようになりました。
医者はやたらと手術を勧めましたが、やらなくてよかった、と今は思っています。
マヒの原因である頸椎にメスを入れる手術は成功の確率が低く、
運よく成功しても、
「5年後に25%くらい動くかな……」
などと、担当医はのんきなことを言っていました。

しかし失敗する確率が高く、へたをすると下半身マヒの車椅子生活だよ、
と物騒なことも言われていました。そのため女房とよく相談し、
総合的判断から手術をあきらめたのです。

代わりにリハビリ科のある病院に転院し、腕の可動域を拡げるトレーニングを
根気よく続けました。その熱意が天に通じたのか、ピクリとも動かなかった
右腕が徐々に動くようになりました。発症から1年が経過しましたが、
医者の言う5年後25%どころか、わずか1年で80%くらい回復しています。
周囲のものは回復力の早さにみなびっくりしています。
手術をしなくてほんとうによかった。

「ボーッと生きてんじゃねーよ!」ではなく「あんまり頑張りすぎるんじゃねーよ!」
と、あのチコちゃんに特別バージョンで叱られそうな1年でありました。

来年はもっと良き1年でありますよう、粉骨砕身努力いたす所存であります。



←去年出した年賀状欠礼のお知らせ。









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