今月の26~27日、1泊2日で愛知県の西尾市へ行ってきた。
埼玉県和光市のわが家から往復で約800キロ。カミさんは
「運転手付きのお大尽と結婚するつもりだったから運転免許はないの」
(お大尽でなくて悪かったね……)
カネには生涯縁がないであろうという慢性金欠病の男に嫁いでしまった、
男運のないわが女房。哀れではあるが、おのれの不明を悔やむしかあるまい。
ま、そんなノーテンキな女房だから〝お抱え運転手〟のボクが右腕マヒにもめげず、
ハンドルを握るしかなかった。こちらこそ哀れである。
西尾市など聞いたこともなかった。が、カミさんのご先祖ゆかりの地だというので、
一族郎党の誰も足を踏み入れたことのない西尾市にボクら夫婦が一番乗りした。
東名高速を降りてすぐの岡崎市にまず1泊し、朝早くに一路西尾市へ向かった。
カミさん(旧姓:河合)のご先祖は河合八度兵衛(やっとべえ)という剣と槍の達人で、
三河西尾藩の槍術師範をしていたらしい。禄高は200石と記した古文書もあるし、
100石と記した『当勤知行取出所略記』もある。日本で初めての古文書の博物館とされる
市内の「岩瀬文庫」に照会してみたところ、すぐさま分限帳2冊を見せてくれた。
八度兵衛の名を探したところ、馬廻役100石とあった。その数代遡ると、
河合半兵衛重明という人物が登場。どうやらこの人物が系図で辿れる
最初のご先祖らしい。このご先祖は禄高200石を拝領していた。
古文書をスラスラ読めるという係の人の助けを借りて読み進んでいったところ、
何かの戦で武功をたてたのか、主君の覚えめでたき人物であったらしい。
いっぽう河合八度兵衛は、この地方に伝わる『天狗の羽うちわ』という民話の中に
主人公として登場している。乱暴狼藉やいたずらの絶えない天狗を得意の剣術で
懲らしめ、戦利品として羽うちわをせしめる、という逸話である。
←盛巌寺の境内で剣術の稽古に
励む河合八度兵衛。
その八度兵衛が毎朝素振りの稽古に励んだという盛巌寺にもおじゃました。
が、あいにくご住職が不在で、天狗と八度兵衛の民話が生れた背景を
聞きそびれてしまった。「後日、手紙にて照会してみるつもり」と、
カミさんはとことん調べる心づもりのようである。
つい最近復元されたという西尾城にも足を運んだ。
百石取りの武士が住んでいたという百石町(現大給町)と馬場町も
歩いてみた。民話によると、剣術の稽古に励んだ盛巌寺の近くに住まいが
あったらしい。というのは、天狗から羽うちわをせしめる際にこんな誓約を
させられる。
「(天狗から)羽うちわをもらったということは他言無用。絶対口外しないと
約束していただきたい。もし一言でも漏らせば必ず災いがもたらされよう」
八度兵衛はこの約束を律儀に守るが、十数年後、友人宅で酒を酌み交わしている際に、
酔余の勢いなのか天狗との約束をついつい忘れてしまう。天狗との果たし合いに
勝って羽うちわをせしめたと、うっかり自慢気に口外してしまうのだ。
すると突如門外で「火事だ、火事だァ!」と叫ぶ声が。あわてて飛び出すと、
自宅のある盛巌寺の付近から朦々(もうもう)と火の手が上がっている。
←哀れ屋敷は燃えてしまった。
可哀そうなご先祖さん(笑)。
八度兵衛は一目散で駆けつけるが、屋敷はみごと灰燼(かいじん)に帰していた。
古今東西を隔てず、童話とか民話には「うそをつくな」とか
「親の言うことはよく聞け」といった訓戒話が多いのだが、
この『天狗の羽うちわ』には「約束事は守ろうね」とか「自慢話はほどほどに」
といった戒めがこめられているのかもしれない。
われらがご先祖さまが約束を破った張本人として描かれている、
というのはご愛敬だが、それも剣術の達人であったからこそ
天狗の相手役に抜擢された、ということであって、
子孫にとって名誉であることには変わりはない。
もっと言えば、この民話には運と不運、名誉と不名誉が表裏一体のもの
として描かれている。『平家』の盛者(じょうじゃ)必衰の理(ことわり)
とまでは言うまいが、人生の流転変転を暗示しているところが教訓的で、
われら凡夫匹夫は四の五の言わず謹んで承る、というのが筋なのではあるまいか。
またこんなふうにも考える。ご先祖が一介の武弁、すなわち四角四面の
しゃっちょこばった武人ではなく、おっちょこちょいで軽忽(けいこつ)な
一面を持った剣術遣いだった、とするところがかえって親しみやすく、
多くの共感を呼ぶような気もする。
ボクの直接のご先祖さまではないが、相方の側にこんなユーモラスな
ご先祖さんがいた、ということだけでも、なんだかホッコリとした気分になる。
長時間のロングドライブは老骨の身にはいささか厳しいものであったが、
得るものもまた大きかった。女房も至極ご満悦な顔で帰途についた。
←小ぶりだが、勇壮な威容を誇る西尾城。
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