英語のことわざに A friend in need is a friend indeed.というのがある。
「まさかの友は真の友」とか「困ったときの友こそ真の友」という意味だ。
太宰治の『走れメロス』という作品を思い浮かべたりするが、人質にとられた
友セリヌンティウスの命を救うため、メロスは様々な困難に打ち勝って、
今まさに処刑される寸前の友を助ける。メロスは途中でいっそ逃げ出そうと何度も思い、
そのことをセリヌンティウスに正直に打ち明ければ、友もまた一瞬ではあったが
メロスを疑ったことを告げて詫びた。
こんな美しい友情というものが、塵芥にまみれた薄汚いこの世に、
ホンマに存在するのかいな、なんて、若い頃は信じがたく思っていて、
実は今もほとんど信じていないのだが、この友情を親子や夫婦の愛情
という関係に置き換えると、ストンと胸に落ちるというか、十分あり得るな、
と納得できるのである。女房や娘たちのためなら、命がけで救出に向かう。
親であり夫であれば、誰もがそうするだろう。
ボクには〝飲み仲間〟とか〝キャッチボール仲間〟〝水泳仲間〟といった
仲間たちがいっぱいいる。あえて〝仲間〟と呼ぶのは、友達とか親友と呼ぶのが
いささかはばかられるからである。自著にも幾度となく書いているが、
ボクにはかつて友と呼べる人間がひとりもいなかった。
だから早くから生身の人間との友情をあきらめ、死んだ人との友情を深めることに
力を注いできた。ボクと親しく語り合ってきたのは、いつだって死んだ人だった。
「読書尚友」という言葉がある。書物を通じて先人に親しむという意で、
目黒のサンマではないが、友達は死んだ人にかぎるのだ。
そうはいっても、気のいい仲間たちに囲まれていると、
生身の人間たちとの友情も捨てたもんじゃないな、とも思う。
しかし便宜的につながっている友情でもあるので、
いつ壊れてしまうかは互いの努力次第ということになる。
ボクは1年ほど前、頸椎損傷による右腕の神経マヒにおそわれた。
腕神経叢ひきぬき損傷というのも同時に併発した。ダブルでマヒしてしまったのだ。
右腕はほとんど動かず、箸すらも持てないありさまだった。
ボクは大好きな水泳をあきらめ、ギター演奏をあきらめ、仲間たちと
毎週やっていたキャッチボールをあきらめた。左腕一本で
生きてゆこうと心に決めた。
ところがリハビリの効果か、動かなかった右腕が少しずつ動くようになった。
今では曲がりなりにも泳ぐことができるし、ギターも弾ける。キャッチボール
だってそこそこできるまでに回復した。仲間たちはこの復活を心から喜んでくれた。
この1年、意気消沈していたボクの気持ちを支えてくれたのは、家族と仲間たちだった。
しかし一方で、「in need」なときにそばにいてくれなかった仲間もいる。
毎週のように会っていた仲なのに、1年の間、一度も顔を見せなかった。
ボクにはそのことがとても悲しかった。
彼が落ち込んでいた時には、いつだってそばにいてやったのに……。
A friend in need is a friend indeed.
この西諺が否応もなく心に沁みる1年だった。
←太宰はどんな気持ちから
この作品を書いたのだろう。
ボクにはよくわからない。
嶋中労さま
返信削除おはようございます。「走れメロス」とはそのような内容であったのですね。
中学生だったか定かではありませんがページをめくっただけで訳も分からぬ
感想文を書いた記憶があります。
最近の出来事のなかで、友達ではありませんが普段の生活の中で百姓という
職業柄触れ合わなくてはならない人々がいます。その人間関係の難しさ、複雑さ
とは自分が勝手に作りあげているのではないかと教えられた今日この頃です。
勘違いしたのは自分です。それでも愚痴をこぼしてしますのです。
50半ばになったとはいまだまだ未熟な自分です。その未熟差を再確認をさせて
頂いた。労さまのブログ内容でした。
ありがとうございました。
田舎者様
返信削除若かった頃、人間関係というのは複雑で厄介なものだな、という認識を持っていました。
気を遣ったり、遣われたり……でも今はちがう。
ボクは人に対して必要以上に気を遣わなくなりました。
いや、遣わないようにしているのです。
自分のありのままを、飾り気なく見せる。
「はいどうぞ」と、丸のままの自分をペロンと見せる。
気に入ってくれた人は仲間になるだろうし、そうでない人は自然と距離を置く。
思想信条もハッキリ表明する。朝日新聞がきらいだとか、左翼知識人が大きらいだとか(笑)。
ありのままの自分をさらし、言いたいことを言う。
今、ボクの周りにいる仲間たちは、そんな自分を認め赦してくれる仲間たちばかり。
田舎者さんの好きな毎田周一も言ってます。
『世の中で一番大切なことはどういうことであるか。
頭を下げること。
一番つまらぬことは。
高慢』
と。
ボクの仲間に高慢チキな人間は一人もいません。
みな謙虚です。謙虚さが一番の徳である、と毎田も言ってますよね。
コメントの最後を必ず「ありがとうございました」で結ぶ田舎者さん。
まさに謙虚さを絵に描いたような人格です。
こちらこそ、ありがとうございます。