2018年12月4日火曜日

モットーは「人にやさしく」

もしボクに取り柄があるとしたら、
「誰とでも気さくに話ができる」ということだろうか。
こどもの頃は「対人恐怖症」に似たある種の神経症に悩まされ、
おかげで友人と呼べる人間は一人もいなかった。
そのことは拙著などにも何度となく書いている。

いつの頃からか、過剰な自意識から解放され、
人と対しても緊張することがなくなった。
雑誌記者を長くやっていたからでもあるだろう。
〝場数〟を踏んだことで対人における〝慣れ〟が生まれたのだ。
だいいち、人に会うたびにむやみに緊張していたら商売にならない。
もちろん突っ込んだ取材などできやしない。
この記者という稼業、よくも悪くも面の皮がぶ厚くなるのである。

誰にでも気さくに話しかけられるという〝特技〟のおかげで、
友人らしきものがずいぶん増えた。今朝も隣町で朝のラジオ体操をしていたら、
和光市の元市議会議員だったというSさんと知り合った。
Sさんは東京は江戸川区の出身。昭和19年生まれというから、御年74だ。

「昔は刑務所が変わるたびに引っ越ししてな。福島にもいたし、
府中や小菅にもいた」
(えっ? このひとムショ帰りかよ……)
一瞬ドキッとしたが、Sさんの父親が刑務官だったので、
こどもの頃は転勤に次ぐ転勤だったのだという。
ああ、ビックリした(笑)。

昭和30年代だろうか、朝霞に「朝霞コマ劇場」という大層な名前の
ストリップ小屋ができて、近在の助平なオジサンたちは足繁く通ったという。
つい最近までわが家の近くにあったから、その存在だけは知っていた。
このSさんは常連で、よくかぶりつきで見ていたという。

最初は前座としてブヨブヨの不細工なおばちゃんが出てきて踊るのだが、
「もういいから引っ込め!」とか「もっと可愛い子はいないのかよ!」
などとヤジが飛ばされるという。心ない言葉といえばまことにそのとおりで、
このブヨブヨおばちゃんの胸中は察するに余りある。

時間の経過とともに踊り子たちは徐々に上玉となり、
きれいな若い子が〝俎板ショー〟を始めたりすると、
客たちは我先に舞台に駆け寄り、手を伸ばさんばかりに群がったという。
なかにはちょっと口にできないようなエログロの演出などもあって、
いくらなんでもお品のあるブログ上には書けやしない。

あれから幾星霜。小屋を閉める直前は外国人のストリッパーばかりで、
主にコロンビア出身者が多かったという。なかには馴染みになった
近くのジャズ喫茶に赤ん坊をあずけて出演するママさんストリッパーもいた
というから、いずこの世界でも生きるためには、みな必死だ。

昭和30年代、アパートを借りると東京あたりでは〝一畳千円〟という
のが相場だったらしい。池袋駅近くに借りたSさんの三畳一間は、
だから三千円だった。

一緒におしゃべりに興じていたSさんと同世代のNさん(元接骨医)は、
「あたしは六畳間を借りたんだけど、その前までずっと三畳間だった
から、六畳間に入ったときは何て広いんだ、と思った」という。
でも、その六畳間に家族6人も詰め込んだものだから、さあ大変。
夏場などはコタツを天井に吊るしてなんとか居住空間を確保したという。
貧しく必死だったのはコロンビア人だけじゃない。

で、ボクのもう一つの取り柄。
貴賤上下の別なく、人にやさしいことだろうか。
自分で言うのは小っ恥ずかしいのだが、ぼくは人を「差別」することが
何よりきらいなのだ。

蛇蝎(だかつ)のごとくきらうのは高学歴や輝かしい職歴を誇るおじさんたち。
ボクの住む団地にはこの手の〝昔偉かったおじさん〟が佃煮にするくらいいる。
話をしてみると、案の定、中身の空疎な人間が多く、
聞かされるのは糞の突っかい棒にもならない自慢話ばかりだ。
人間を長くやっていても、およそ教養の厚みというものがまるで感じられない。
「高慢」というのは実に空疎なものだ。

ボクの周りにはおかげさまで高慢ちきな人間は一人もいない。
学歴など毛筋ほども関心がないから、話題にのぼることもない。
どうでもいいのだ、そんなもの。

嗚呼、あのストリップ小屋で「引っ込め!」とヤジられたおばちゃん。
なんとか気丈に生きていってくれただろうか。
小さな幸せを掴んでくれただろうか。











2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    『人にやさしく』について田舎者的テーマを書かさせていただきます。

    やさしくの対義語は厳しくをはじめいくつかの言葉が当てはまりますが
    難しくなると分からなくなりますので、今回は厳しくだけにしてしまいます。

    対義語のある言葉は全てが二つで一つだと思うからなのです。今回のやさしく
    ですが、厳しくがないと存在しないことになります。

    そんなこんなで優しさのなかに厳しさがあり、厳しさの中に優しさがひそかに
    隠れているような生き方をしなさいと自分には言い聞かせているのですが、
    現状は自分にやさしくではなく、自分に甘い田舎者です。

    ありがとうございました。


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  2. 田舎者様
    たしかにそうだよね。

    やさしさの中に厳しさがないと。

    ボクも実は自分に甘くてね、他人にはやけに厳しいの(笑)。

    でも、人にやさしくするというのはけっこう難しいらしくてね、
    団地内でも、掃除のおじちゃん・おばちゃん相手だと、途端に傲岸不遜な
    態度をとる人がいるね。「あんたとは身分がちがうんだよ」とでも言いたげに。

    職業に貴賤がないとはいわない。政治家なんてもんは賤業の最たるもの、
    なんて福田恆存は言ってたからね。そういう見方だってあるでしょ。

    でもボクはできるだけ平等に見ようといつも考えてる。
    目線はいつも同じで、上になったり下になったりはしない。

    毎田周一が言うように「人間最大の不徳は? 高慢」だと、ボクも思ってる。

    オケラだってミミズだって、みんな立派に生きてるんだものね。
    高慢ちきなオケラとかミミズっているのかしら。
    おバカな人間だけだよね、そういうの。

    お互い、精進しましょうね。

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