無趣味を絵に描いたような男だからである。
昔は履歴書なんぞの趣味の欄に「読書、音楽鑑賞」などと書けば、
差しさわりがなかった。ところが今はどうだ、「読書、音楽&映画鑑賞」
などと書くと、「つまらなそうな人ね」と思われてしまう。
つまらなそうな朴念仁と思われようが、ボクはいっさい気にしない。
ボクの「読書」は体質として身についてしまったもので、ボクから切り離す
ことはできない。書斎の机の上には、まだ目を通していない本が山と積まれている。
横にも後ろにも本、本、本。そんなbook-wormなのに、今日もまたアマゾンに
新刊を注文してしまった。ほとんど活字中毒と言っていい。
百聞は一見に如かず、などという。
寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』なんて本を書いた。
御多分に漏れずボクは若い頃、よく旅をした。一人旅である。
それなりに面白かったし、収穫もあった。
社会人になってからは、記者稼業の宿命か、全国をくまなく歩いた。
海外にも飛び出していった。多くの人にも会って、十分すぎるくらい見聞を広めた。
その一方で、If an ass goes a travelling , he'll not come home a horse.
(ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない)とする西洋の俚諺
が耳の奥でこだまする。
Travel makes a wise man better , but a fool worse.
(旅は賢者をさらに賢くし、愚者をさらに愚かにする)という諺もある。
ボクが賢者なのか愚者なのかは知らない。
賢くもあり愚かでもある、といったところだろう。
上知と下愚は移らず、と古人は言った。飛びきりの賢者と底なしの愚か者は、
いつまでも変わることはないという意味である。「下愚」、すなわちおバカなロバには
つける薬がない、ということだ。
ここでいきなり話は変わるが、テレビの国会中継か何かで、民進党や共産党の
国会議員、たとえば蓮舫や辻元清美、枝野幸男、安住淳、志位和夫といった
面々の顔をしみじみ見てしまうと、つい「Ass」とか「Fool」「下愚」という言葉を
思いうかべてしまう。下愚の代表はloopy鳩山だった。あの〝鳩〟は底抜けの
愚か者だった。かれら愚者どもを見るにつけ、ロバは死ぬまでロバ、
バカは死ななきゃ治らない、としみじみ思ってしまうのである。
旅はしたい。だが今はもう昔のような旅はできない。膝痛があるからか、
何をするにも億劫になってきている。知らない土地を歩くより、
本の世界で〝百聞〟にふれたほうがいい。本の中には時間や空間を超えた
それこそ未知の世界が限りなく広がっている。ボクは時にチンギス・ハーンとなって
草原を駆けめぐり、時に司馬遷となって中華千年王国に想いを馳せる。
それでも「下愚」のまんま、というのなら、それもまたいい。
ボクは書を捨てない、町にも出ない。
名誉ある孤立、ならぬヒッキー(ひきこもりの俗称)に甘んじよう。
←北側バルコニー(5階)から見た風景。
木陰越しにテニスコートが見える。落ち葉の
風情がいいですねえ
0 件のコメント:
コメントを投稿