2018年11月6日火曜日

ご先祖さんは槍の達人

勝海舟、山岡鉄舟と並び「幕末の三舟」と謳われる高橋泥舟。
徳川慶喜に仕えた槍術師範で、その技量は海内(かいだい)無双、
神の業に達したとの評もあった。槍は自得院流(忍心流)で、
無刀流で知られる山岡鉄舟は義弟に当たる。

高橋は槍術の腕を見込まれ講武所槍術教授となるが、後に伊勢守を叙任、
幕府が鳥羽伏見の戦いに敗れた後は、徳川慶喜の護衛役をつとめ、
その任を解かれた後は二度と再び仕官することなく、草莽(そうもう
に隠れて生涯を終えた。

仕官しない理由を、
狸にはあらぬ我身もつちの船  こぎいださぬがかちかちの山
と昔話の『かちかち山』にかけて狂歌に詠み込んでみせた。
「泥舟」と号したのは、おそらくこの狂歌に拠っているのではあるまいか。
槍の達人ながらこうした洒脱さも茶目っ気もある。書にも優れていたというから、
文武両道の鑑みたいな男だったのだろう。

泥舟はこんな歌も詠んでいる。
野に山によしや飢ゆとも葦鶴(あしたず)の  群れ居る鶏の中にやは入らむ
武士は食わねど高楊枝。痩せ我慢こそが高貴な美意識を生む。
節を曲げ自分を貶めてまでべんべんと生き永らえたくない、ということだろう。
ボクはこうした泥舟の潔い生き方が好きで、
人間はすべからくこうありたいもの、と常々思っている。

「卑怯なマネをするな!」
「人と群れるな!」
ボクのモットーがこれで、高橋泥舟の孤高の生き方から多くを学んでいる。
娘二人にもそう教えたつもりだ。付和雷同はボクの最も唾棄(だき)するところ
なのである。

ボクの母方のご先祖は武蔵国一の大藩・川越藩の藩士だった、と聞いている。
禄高等はわからない。たぶん下級武士とか足軽の類だろう。
一方、浜松出身の女房(旧姓・河合)のご先祖は、三河西尾藩の藩士で、禄高は300石。
西尾藩士の俸禄をみると100石以下がほとんどだから、
300石となれば立派な上士だったにちがいない。

こうなると彼我の力の差というか貫禄の差は明らか。
何かの拍子に女房と口げんかをしたりすると、
「下郎、無礼は赦しませぬ、下がりおろう!」
などと一喝、ついでに思いきり打擲(ちょうちゃく)されるかもしれない。
嗚呼、くわばら、くわばら(笑)。

さて徳川家康・織田信長連合軍と武田信玄がガチンコ勝負した「三方ヶ原の戦い」。
あいにく家康は大負けしてしまったが、その戦いにも我らがご先祖様は参戦している。
河合八度兵衛(やっとべえという名で、童話の『天狗の羽うちわ』にも登場する
人物である。

つまり、ボクらはサムライの子孫で、おまけに河合八度兵衛は西尾藩の
槍術師範だった。ボクの敬愛する高橋泥舟と同じ槍の達人だった、というだけで、
ボクなんか感泣(かんきゅう)してしまうのだが、八度兵衛は女房殿のご先祖さま。
ボクとはまったく関係ないのだが、どうかすると深い縁(えにし)みたいなものを
感じてしまうのはどうしたことか。

日本人の宗教観は神道と先祖崇拝から出来上がっているという。
ご先祖さんが武士だろうと、農民・町人だろうと関係ない。
自慢じゃないが、ボクの父方のご先祖さんはおそらく秩父あたりの
〝山猿〟であっただろう。それでもご先祖あっての今の自分である。
猿だろうと貉(ムジナ)だろうとあだやおろそかにはできぬではないか。
せいぜいご先祖さんの名を汚さぬよう、これからも公明正大に生きてゆきたい
と思っている。



←映画『どら平太』。
新任の町奉行・望月小平太が藩の悪人バラを
退治する痛快時代劇がこれ。役所広司が主演で、
大ヒットした。この藩の舞台となったのが、
女房のご先祖さんが出仕した三河の西尾藩。
小藩ながら時の老中などを輩出した由緒ある藩
として知られる。原作は山本周五郎の『町奉行日記』。
筋の運びが巧みな優れた小品である。









さて長い間、ブログをお休みさせてもらったが、
気候もよくなったので、またぼちぼち書かせてもらうことにします。
どうかご贔屓に。



2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    『日本人の宗教観は神道と先祖崇拝から出来上がっているという。』
    確かに言われてみればそうです、自分自身も仏壇に手を合わせた後に五体投地をして
    「ご先祖さま、おはようございます。」「本日もよろしくお願いいたします。」を
    知らぬ間に毎日おこなうようになりました。

    ご先祖さまを否定しますと自分が自分んでなくなるのではないかと思います。

    労さまのブログの再開が嬉しくてなりません。ありがとうございました。

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  2. 田舎者様
    ご無沙汰してます。
    ずいぶん長い間、サボっていましたが、ようやく再開することにいたしました。

    それにしても毎朝仏壇に向かって拝み、五体投地まで行うとは……不信心なボクから
    見ると頭が下がる思いがします。

    わが家には仏壇はありませんが、父と母の遺影がピアノの上に置いてあります。
    ときどき母と目が合ったりするのですが、そんな時は「お母ちゃん……」と
    呼びかけます。小さい頃はお父ちゃん、お母ちゃんと呼んでいました。

    会いたいですね、お父ちゃんとお母ちゃんに。

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