2018年6月14日木曜日

結愛ちゃん、ゆるしてね!

《ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと 
じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから
もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします 
ほんとうにもうおなじことしません ゆるして》

目黒区のアパートで両親に虐待され、わずか5年でその短い生涯を閉じた
船戸結愛(ゆあ)ちゃん。朝まだきに起き、衰弱した小さな体を奮い立たせ、
ひらがなの書取り帳にこんな反省文を書いていた。こんなにも悲しく、
こんなにも切ない作文があるだろうか。この愛に飢えた薄幸の子を誰も
救うことができなかった。この子のさみしかったであろう心中を思うと、
涙が止まらない。

ボクの1歳になる孫は両親や祖父母から溢れんばかりの愛を注がれている。
子が生まれれば、「這えば立て 立てば歩めの親心」で、親というものは
子供がつつがなく成長してくれるように願うものだ。ボクたちもそうだったし、
娘夫婦だってそうだろう。

しかし中には、こんな夜叉みたいな親もいる。食べ物も満足に与えず、
病気になっても医者にすら診せない。おまけに言うことを聞かなければ
殴る蹴るの暴行。まるでケダモノ以下の所業である。同じ国に生を受け、
片や幸せいっぱいに育ち、片や親の愛を知らずに衰弱死する。
こんな不公平があっていいものだろうか。あまりに可哀そうすぎるではないか。

こんな目を覆いたくなるような事件が近頃多すぎやしないか?
新幹線に乗れば隣席の男がいきなりナタで斬りかかってくる。
また若い看護士が、インターネットで知り合った複数の男たちにむりやり
車に押し込められ、数週間後、全裸の死体で発見される。
テレビや新聞を見れば、こんな陰惨な事件ばかり目に飛び込んでくる。
ニッポン人はどうかしちまったんじゃないか。

ボクはこうしたニュースを目にすると、「目には目を」のイスラム法が
逆に羨ましく思える。西洋発の近代法は加害者にも人権がある、
という発想だが、ケンカ両成敗的なイスラム法のほうが感情的には
しっくりくるような気がしてならない。結愛ちゃんを虐殺した鬼親たちには
「石打刑」で臨み、新幹線のナタ男には「八つ裂きの刑」を処するとか……。

さて、聞くところによると江戸時代は凶悪犯罪の少ない時代だった
といわれている。実際、江戸の時代265年間に発生した犯罪件数は、
今日の日本の1年間に起きる犯罪件数より少ないのだそうだ。
「五人組」といった相互監視システムや、午後10時には木戸を閉めて
外出できなくしてしまうという仕組み。あるいは辻番や自身番(交番みたいなもの)
が各町内にあり、不審者の監視につとめていた、という事実も大きいだろう。

ボクの義理の姉は府中に住んでいて、車で訪問するときは
高い塀に囲まれた府中刑務所の横を通っていく。この刑務所、
日本最大の刑務所として知られ、主に重罪犯たちが収監されている。
その数はおよそ3000人。その大半が外国人だという。

外国人といっても欧米系は少なく、中心となるのは支那人と韓国人だ。
それに支那系と韓国系日本人が続くという。
つまり日本における凶悪犯罪の担い手はほとんど支那人と韓国人なのである。
この事実に対しては「なるほど」と容易に首肯できるだけでなく、
「さもありなん」とさほど驚かないところが、かえって怖い。
それだけ「支那人&韓国人=悪い人たち」という負のイメージが
日本社会に定着しつつあるのだろう。

結愛(ゆあ)ちゃんは悲しくも愛を結ぶことなく死んでしまった。
子は親を選べないというが、いったいこの世に何をするために
生まれてきたのだろう。
イジメ殺されるためだけに生まれてきたのか? 
そのためだけにオギャーッと生まれてきたのか?
そうじゃないだろ。
親や周囲の愛に育まれ、希望に満ちた人生を歩むために生まれてきたんだろ!

生れてきてよかった、と一度でもいいから心底思わせてやりたかった。
好きなものをお腹いっぱい食べさせてあげたかった。
でもそれは、もう叶わない。

結愛ちゃん、助けてあげられなくてごめんね。
大人たちの無力をどうかゆるしてください。


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写真提供/朝日新聞デジタル















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